「最近の若いモンは…」つい口をついて出していませんか?
けれど不思議なことに、今その言葉を口にする私たちも、若い頃は同じ言葉を言われてきました。

「厳しく鍛えられたから今がある」。その手応えがあるほど、同じことを部下にも繰り返してしまいます。

ただ、時代は変わりました。昭和の時代には「ライフワークバランス」こんな言葉もありませんでした。
働き方も価値観も、情報の流れも全く違っています。

昭和には「水を飲むな!」が“愛のムチ”だったものが、令和では“人命に関わるハラスメント”になっています。
この昔の意識のままがズレとなって、ハラスメントにつながるのです。

根っこはコミュニケーションの行き違い

本来、ハラスメントの根っこは、コミュニケーションの行き違いです。

相手の成長を願って言った一言でも、受取り方次第で、内容よりもきつい口調が記憶に残ります。

同じように注意をしても“指導”になる場合もあれば、“ハラスメント”になる場合もあります。

この差を理解することが大切なのです。

見えない原因:「無意識のハラスメント」

やっかいなのは、本人に悪気のない“無意識のハラスメント”です。

「昔は普通だった」「場を和ませる冗談のつもり」「善意のアドバイス」
これらが、受け手にとっては圧力になったり、侮りとして受け取られることがあります。

でも、無意識だから自分ではわかりません。だからこそ、気づく仕掛けが必要です。
まずは“ひと呼吸ルール”。強い言葉が喉まで出かかったら、心の中で一拍おきます。

「今、伝えたいのは何なのか?何をしてほしいのか?どんな結果を期待しているのか」。
人格ではなく行動に意識を向け、過去ではなく未来に向けて語れるかどうかが重要です。

「お前はダメだ」ではなく「あなたには○○をして欲しい」。
事実と基準だけを伝え、皮肉を封印し、「ありがとう」を惜しまない。これだけで、無意識のハラスメントはなくなっていきます。

昭和の世代は「我慢と根性」で鍛えられ、令和の世代は「納得と選択」を重んじる傾向があります。どちらが正しいではなく、価値観が違うのだと捉えると、少し優しくなれます。

世代をつなぐ「認めるコミュニケーション」

橋渡しの合言葉は“認めるコミュニケーション”。

小さくても良いので努力や工夫を言葉にして受け止め、そのうえで会社の目的や基準に照準を合わせ、言葉を掛けます。

たとえば見積の精度が甘かった場面なら、
「早い対応、ありがとう。この数字の根拠をもう一段詳しくしたら、もっと良くなると思う。明朝に一緒に確認できるかな?」、
これで受け手のモチベーションは上がります。

甘やかさずに基準を上げる

「褒めてばかりでは甘やかしにならないか」という不安も自然です。

基準は下げない、納期は守る、品質は担保する、これら厳しさを基準に置き、言葉をきつくしない。

結果だけでなくプロセスの良さも見つけて言語化していくと、社員は“怒られないために黙る”から、“良くするために話す”へと切り替わります。

心理的安全性は甘えの温床ではなく、改善への基盤です。

今日からできる言い換えトレーニング

そのための毎日の“言い換えトレーニング”は小さくて強力です。

「なぜやってない?」は「何が障害になった?」へ。

「早くして!」は「いつまでに仕上げられる?」へ。

「違うだろ」は「この基準に寄せるなら、ここを直そう」へ。

会議の終わりに「今日の良かったこと」をいい、努力や工夫を“見える化”する。

叱ることは悪ではない——両立の鍵は敬意と具体

ここまで読んで、「叱ること自体は悪ではないのだろうか」と心配されるかもしれません。

答えはノー。仕事の基準を伝え、責任を果たしてもらうために、時に厳しいメッセージは必要です。両立の鍵は、敬意と具体性、そして無意識への気づきです。

強いだけでも、優しいだけでも足りない。令和の職場で効くのは“やさしい強さ”。

その言葉が定着した会社は、叱る回数が減り、叱るべき時は短く深く届き、業績も人も伸びていきます。

結び:最初の一歩は「ひと呼吸」と「小さな承認」

結論はシンプルです。

ハラスメントは起きてはいけない。しかし、認めるコミュニケーションが回り出せば“起こりにくい空気”は作れます。

まずは今日から、いつもの声に“ひと呼吸”と“小さな承認”を足してみてください。

無意識が意識に変わった瞬間、組織の空気は確かに変わります。
厳しさは基準に、やさしさは言葉に——このアップデートが最短で効きます。